今日(10/8)は、阿武隈高原中部県立自然公園『日山』(1,057M)
を見回ります。
一昨日の予定でしたが、朝からの雨で、今日に順延と致しました。
今日は曇りの予報でしたが、またもや朝からの雨。
でも、もう日延べは無し。
頑固な雨雲でもなさそうだし、傘で充分しのげるでしょう。
天気が良いに越したことはありませんが、秋陰にも秋思、秋興あり。
車で移動しているうちに、フロントガラスに滴はなくなりました。
上移は平地区の公民館前に車を置かせて頂き、登山口へ。
登山道の到る所にイノシシの痕跡。いやはや元気溌剌。
途中、林道と合わさり、電波施設様とご対面。
雲霧の中、歩一歩。道刈りが良く施され、足取りは軽やか。
移分岐。茂原からの径を合わせます。
秋霧にうながされ。
天王平。忖度に与り?雨には至らず。
たちこめる霧にいざなわれて、秋懐。
『胎内くぐり岩』。
山頂は、間近。
山頂広場は、霧中霧裏。
展望台に異状なし。一帯を見回ります。
『展望岩』へ。
葛尾村からの径は・・・
原発事故以来、閉ざされたまま。
『展望岩』に起ち・・・
雲を透して、一刻、山と語らいます。
自他不二、人間は社会的存在なのだと、あらためて、つくづくと、そう懐う。
疎石禅師は曰う、
「衆生の生死にしづめる事は、
我が身を執着して此の身のために名利を求めて、種々の罪業をつくる故なり。
しかればただ我が身をばわすれて、衆生を益する心をおこせば、
大悲内に薫じて仏心と冥号する故に、
自身のためとて善根を修せざれ共、無辺の善根おのづから円備し、
自身のためばかりに出離をもとむる人は小乗心なるが故に、
たとひ無量の善根を修すれ共、自身の成仏なほかなはず。
いわんや他人を度する事あらずや」。
また、『論語』には、
「夫れ仁者は、己れ立てんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す」
とも。
思い上がる、愚かな私には、痛切に、噛みしめねばならぬ言葉です。
いい時間を過ごせました。感謝。
山頂広場にもどって、昼餉。
トイレの見回りもすみました。帰るとしましょう。
『胎内くぐり岩』経由で。
あそこを、くぐります。
後は、すたこら。
しっとりとした径もまた、愉しからずや。
秋は、鮮烈。
(あらら、何と目の前をイノシシ君が駆け足で横断~!!!)
登山口へと復し、移ヶ岳や・・・
路傍の花々の労い、エ~ルに与って・・・
無事の下山、
秋陰の山路に
感謝。
Fin