櫛ヶ峰からの、大磐梯。沼の平を慈しむかのように。
今日(9/6)は、磐梯山へ。
明日は、所用あって、山は論外? 明後日は高柴山の見回り。・・・
なのですが、先の週に山がかなわなかったので、足がうるさくせがみます。
この頃はたいした足への負荷がなく、雨の所為もあって散歩もさぼり勝ち。
体は鈍っています。
ぶり返した暑さに負けてしまうのではと案じましたが、案の定。(笑)
結構な、ハァハァゼェゼェでありました。精進せねば。
いつもの猪苗代スキー場から。
赤埴の山脊は、しっとり。でも、汗が噴き出ます。
表から登ると、湖が背を押し上げてくれます。
沼の平へ。
いつもの場処で、ひと息。
大磐梯のご機嫌、麗しいようで。
ウメバチソウのエ~ルに応えます。
櫛ヶ峰へ。
此処でもたくさんのウメバチソウが激。
櫛ヶ峰を頂きました。
残念ながら、飯豊には雲を透して、ご挨拶。
櫛ヶ峰に起てば、特別の景観に恵まれます。
親昵の、大磐梯。
懊悩の痕跡、爆裂の襞。
倦むことなく呼ばわる、天狗岩。
「天へ、天から生きよ」と。
雲は溌剌と、頌歌。
しばらく、雲のすることを見ていよう。
もくもくと、もくもくと、あたりまえだけれど、
雲はまっとうだ。・・・
「まっとう」と言えば、・・・
「我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが
多くの問題の根底にあり、様々な形で表面化している」
と記したところ、安倍首相を支持する方々から、
「こんな発言をしているようでは、石破氏が今後首相になる目はない」
と、厳しい反応が出た由。これを紹介した方は、
石破氏の意見を「まっとうな意見だ」と評しておられましたが、
私も同感。
お二人の政治哲学には相当な開きがある様です。
カント風に言うと~
人間は機械論的に決定されているのか、それとも自由な存在なのか、
という問いは理論的に決定することはできません。
ただ、自由でなければ、「実践」、
つまり「如何に生きるべきか」という問題に直面することはありません。
自由は事実なのです。
「実践」の目的が幸福にあり、幸福が欲望の充足に尽きるのなら、
理性など不要、本能さえあれば足りることになります。
理性を有つ人間より動物の方がずっとずっと幸福だということになるのです。
でも、自由が事実であるように、理性も事実です。
では、どうして人間には理性があるのでしょうか。
それは生きる目的が「幸福」にではなく「善」にあるからに違いない。…
「汝の意志の格率が、
常に同時に普遍的律法の原理として妥当するように行為せよ」
とは、カントの『実践理性批判』にある言葉。
あなたの振舞いの主観性、道徳性が、
いつもすべての人にとってあてはまるような法則になるよう振舞いなさい
・・・「日本」の人も、「朝鮮」の人も。
~ちょっと、カントを気取り過ぎたかな?
雲さん、曰わく、
「天へ、善の彼方へ、目を注げ」。
お山も寂かに、然り。
いい時間を過ごせました。感謝。
大磐梯にも寄るとしましょう。天狗岩と語らいながら。
さてと、再び、登り坂。
天狗岩の脇を礼敬して。
弘法清水小屋へ。
お腹が空いたので、昼餉を繰り上げます。
食し了え、のっしのっしと、山頂へ。
雲が歓呼して迎えてくれました。
大磐梯を頂いて、パチリ。
のんびり眺覧、周覧のひと時。眼下に櫛ヶ峰。
会津盆地がすっきり。
天鏡の湖が、頌います。田圃はじわじわと秋色に。
さて、おいとましましょう。
ダイモンジソウのエ~ルに応えます。
天狗岩にいとまを告げて・・・
後は、すたこら。
往路を復します。
ゲレンデはすっかりススキ世界。
秋を愉しむ、大磐梯。
終点を、ロックオン。川桁山のねぎらいエ~ルを受けながら。
無事の下山、
愉思の山路に、
感謝、感謝、感謝。
Fin