『大日岳/嘉祉㈠』からの、続きです。
飯豊山頂で、おにぎりを頬張り、眺覧、周覧のひと時。
雲さんと語らえば親昵、トンボ君は無邪気に翔踊。
汗こそ大量に(!)かきましたが、
塩分タブレットを友に、休み休みダラダラと?歩いたおかげで、
体調は無問題。予定通り、御西を目ざすことに。
天上の桃源に、いざなわれて。
雲さん、火花散らして喧嘩しないでね~。(笑)
飯豊山頂においとま。
歩を斉えてくれる、イイデリンドウ。
のたりのたりと、至福のとき。
わたしのハイロマンス、草月平へ。
ここは天空、白鯨があまかける、自由の至境です。
また、あなたに会えてよかった。
この雪形の、何という、おおらかさであることよ。
白鯨、としか言い様のないそれは、飯豊の広量であるに違いありません。
アランの『定義』に聴こう、~
「広量~MAGNANIMITE~、それは魂の大きさであり、
精神を低めて肉体の利害へと引戻すようなものに対する無関心において
成立する徳である。
それは、ひたすらに魂の自由な部分を尊敬し、奴隷化するものを軽蔑する。
それは、人が憎しみを自分にふさわしくないものと判断するところから来る。
魂の大きさによる赦しは慈悲から来る赦しと同じものではない。
慈悲は、最後の一人まで信頼する。
魂の大きさは、人に不信を抱くことを潔しとせず、黙殺するのである」と。
白鯨は呼ばわる、「あまかけよ」と。
花々に祝われ、草月平に遊ぶ仕合わせ。
悠々の稜線漫歩。時折、雲が忖度してくれるのですが、 ・・・ん?遠雷?
コバイケイソウの爺さんが、「急いだ方がいいぞ」。
遠雷がだんだんと「近」雷に・・・
俄然、駄馬が駿馬に。おいおい、何所にこんな元気が残ってたの~?
ポツリポツリに脅されて、ほとんど競歩、ハァハァゼェゼェ。
御西小屋が見えて来ました~。
御西小屋へ駆け込むと、程なくして雷雨。でも、通り雨。
虹がわたしの慌てぶりを冷やかします。
一息ついて、改めて大日岳にご挨拶。
"Welcome home, my friend".~ "Here, I am".
小屋の管理に入っていたのは、草刈さん。再会を祝してパチリ。
飲んで食べていると、いつの間にか落陽。
月天子の慰労に与ります。
暮れなずむひと時。静かにお山と閑談、懇談。
夕照が、一日の疲れを熔かします。・・・
翌8月7日、未明。
体調無問題。予定通り大日岳へ。朝餉をとらず、最小限の装備で、小屋を出立。
ヘッデンを頼りに暫く進むと、東の空が白みます。
明るんで、ヘッデンはそろそろ不要。
磐梯山や、吾妻、安達太良のエ~ルに応え・・・
牛首山の背丈をこせば、山頂は間近。
ふ~、大日岳を頂きました。
有難いことに、先行の方が。お陰で証拠写真をば。
この方に撮って頂きました。深謝。
ご来迎です。(飯豊本山御前坂から)
「わづかに一人一時の座禅なりといへども、
諸法とあひ冥し、諸時とまどかに通ずるがゆゑに、
無尽法界のなかに去来現に常恒の仏化道時をなすなり、
彼々ともに一等の同修なり、同証なり」とは、
道元『辨道話』の中の一節。大意を酌めば、~
「単に一人一時の座禅であろうとも、
諸存在と一体になり、諸時間と完全に一つとなるがゆえに、
無限の真実世界の中で永遠不変に仏の働きをなす、
そのとき全存在が同時に修行し、同時に悟るのである」とか。
「座禅」を「山行」に置き換えて読んで、差し支えありません。
だから、山を頂くとは、山に、その生命に合わせられること。
今年はあれやこれや、此処へ来れないのではと気も塞ぎがちでしたが、
こうして大日岳を頂き、陽明の「然り」を頂戴し、ただただ感謝。
感恩に溢れます。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くす、その一心が、
この貧しき土塊を、此処へ、ひき上げてくれました。
標識に明かりを燈してみました。
希望の燈明。
ついでに、もう一枚。(笑)
しばし、眺覧、周覧。西大日岳。
北股の衆。
牛首山~櫛ヶ峰。
磐梯山に礼敬、エ~ルに感謝。
峰々の祝福に与りながら、御西へ凱旋です。
飯豊は、生命の山。
飯豊の風・・・
飯豊の香に・・・
雍まれて。
御西小屋まで、もう少し。
うれしい、チングルマのエ~ル。
心満ち足りて・・・
御西の小屋に戻りました。
『大日岳/嘉祉(三)』に続く。